2018年、もろもろの感謝と自省と、芥川の一節と。
いやー、かなり更新してませんでしたね。
すみません。
告知の類いもTwitterが関の山で。
ちゃんとやんないといけませんね、ブログ……というか「書き物」も。
なんか誤解されると思いますが、いや理解か。なんだ。
臼井総理の今年一年はこの一文に尽きるかなと思いますので、記してみます。
「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」
ご存知の方も多いでしょう。
芥川龍之介の「或旧友へ送る手記」からの一節。
私は正直芥川龍之介なんてほとんどまともに読んでませんし、従って好きでも嫌いでもなく、ただ「国語便覧」に載っている、そして知識としてしっている大作家の一人というくらいの認識でしかありませんが、この文章、そしてこの一節は、今年一年ずっと脳裏にたびたび浮かんだのです。
とはいえ、死ぬほどの度胸もなく、死への恐怖もそれなりに持ち合わせている身としては「自ら命を絶つ」ことになど絶対に踏み込めないのですが、こと「2018年」については、私のなかでひたすらこの一文につきまとわれた感がありました。
だから、ということでもないでしょうが、自ら今年一年を総括しようと、今月半ばに思い至ったときに思い浮かんだのは、
「ゆるやかな自殺」
でした。
まあ、いずれ人は死ぬわけで、死へ向かって一日一日近づいているからには「誰もが日々緩やかに自殺している」といってもいいのかもしれませんがね。
これ以上誰にも語ることはないでしょうが、今年一年はまさに「自棄自棄」(自暴自棄ではなく)であったことは間違いないのです。
しかしながら。
年末も最後の最後に来て、「自棄自棄」な一年をもろもろ総括できる出来事もあり、来年は「唯ぼんやりとした不安」がきっと「明確な不安と、一方の希望と、他方死ぬほどめんどくさいことと」くらいになるんじゃないかと思っていますが。おい、それは前進か?後退か?と問われると、いったいどうなんでしょうか。
ともあれ、2019年は「非・停滞」の一年にしたい。
前でもいい、後ろでも右でも上でも下でもいい。
動きたい。動きます。
めんどくさいけど。
というわけで。
今年一年も、たくさんの方々に助けていただきました。
人は一人じゃ生きていけませんね。ほんとに。
来年は一人でもどなたかの助けになれる自分でありたい。
そんな風に思います。
今年一年の出会いに、仕事に、空に海に大地に。
とまらなかった心臓に。
感謝します。
それでは、みなさま。
良いお年を!
みなさまにとって、来年が「良い年」になりますように。
祈る神があれば祈るがいいさ!(なにか違う)
腰痛いのでとりあえず寝るわ。バーイ。