臼井総理の「なんでもやってみよう」

ライター・編集者、臼井総理の日常を綴るブログです。同人サークル「版元ひとり」での活動についても語ります。

二・二六事件と祖父

総理です。
今日は2月26日。ちょっと趣向を変えてお届けします。

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今日、2月26日は、あの「二・二六事件」の起こった日だ。
1936年というから、もうかなり昔。
日本陸軍の若手将校らが起こしたクーデター未遂事件。
歴史の教科書にも載っている有名な事件なので、
皆さんも名前くらいは知っているだろう。

この事件の首謀者グループに、安藤輝三、磯部浅一という者がいた。

安藤は、当時陸軍大尉。
事件後、首謀者として反乱罪で処刑された。

また磯部は、もと海軍一等主計(大尉相当)だったが、
事件当時は免官となっていた(元軍人、とでも言おうか)。
こちらも事件の首謀者として処刑された。

この2人には共通点がある。
それは、どちらも陸軍士官学校・第38期の卒業生なのだ。

そして。
私の亡き祖父もまた、彼ら二・二六事件の首謀者たちと同じ、
陸軍士官学校第38期の卒業生で、職業軍人だった。



私の祖父と、彼が戦後書き残した手記については、
同人誌『本土決戦準備in南九州 第40軍と終戦の教訓』(版元ひとり 刊)にて
一部すでに紹介しているが、ここで簡単に軍歴を紹介しておこう。

祖父、臼井一雄は(※戦史叢書には「一男」となっているがこれは誤り)熊本の幼年学校から陸軍士官学校(38期・歩兵)に進み、熊本第13連隊時代には日中戦争支那事変)に出征。後、大本営陸軍参謀部付となり、占領地域(中国)内の地誌調査などを担当している。太平洋戦争時代は内地にあって陸軍士官学校の教官を務めたが、戦争末期には第40軍の高級副官として台湾、のち鹿児島で任を果たした。最終階級は陸軍中佐。

祖父が戦争末期に属していた第40軍、そして彼らが取り組んだ本土決戦準備については、先ほどの同人誌に書いたとおりなのだが、実は祖父の手記には、同期生であり、反乱軍の首魁だった二人について、また二・二六事件についても少々記述がある。

今回は、祖父の供養、そして二・二六事件に思いを馳せるいい機会ということで、
手記から事件に関する部分を引用のうえ、紹介したい。

まずは、士官学校本科(38期の場合大正13年10月~15年7月)のころの記述。

士官学校本科在校中最も印象に残る事柄は、五・一五事件前奏曲ともいえる機運の盛り上がりつつあることであった。(中略)
 このとき我らが接触を始めたのが、有名な北一輝先生を頂点とする西田税(陸士24期出身の退職軍人)の一党であった。我らの同期としては●●、●●、●●、安藤輝三、磯部浅一ら六名であったと記憶する。
 これらの面々は日曜を利用して、前後四~五回西田氏の話を聞きに行った。北一輝の日本改造論をよく読んだ。また、日蓮宗の高僧を鎌倉の寺院に訪ねて話を聞いたこともあった。(後略)」

※読みやすくするため旧字を新字に、また一部漢字をひらくなどの編集を行った
※●●部分は実際には実名が上がっているが、二・二六事件で処断された人物の一覧にも名前がないなど、伏せることが適当と判断した。
※安藤「照三」、磯部「浅吉」と本編では誤字をしている。


おじいさま! 思いっきり安藤・磯部の仲間じゃないですか…という印象だが。
昭和60年以降に書かれているものなので、記憶が曖昧になっていたり、若干誇大に書かれていたりする部分もあるかもしれないことはご容赦いただきたい。


さて、二・二六事件である。

「また、その後に起きた二・二六事件のときは、熊本歩兵第13連隊第2中隊長のときである。
 私もかつて二・二六事件の安藤輝三、磯部浅一の一味であったため、憲兵隊関係の注意人物と目せられていたらしく、昭六・五・一五事件当時、胸部疾患にて熊本衛戍病院(※注:軍病院のこと)入院中の私は、憲兵隊の取り調べを受けたり、昭九・二・二六事件のときは、憲兵が張り込みのため我が家の床下に潜んだり、戸壁の隅に隠れていたりしたことが、後に至って判明したものである。
 二・二六事件当時、ついに一人で連隊を脱して東京に出奔した●●(後に満州国軍に入隊)は盛んに出京を勧めたが、私は状況判断上ついに踏み切るまでに至らなかった」

※●●部分は伏せた
※実際には安藤「照蔵」磯部「浅吉」と誤っている。

「状況判断上ついに踏み切るまでに至らなかった」のは、迷っているうちに事件が終わってしまっていたのか、それとも自ら「加わるには値しない」と思っていたのか。その辺はよくわからない。
ともあれ、祖父が反乱に加わることはなく、所属聯隊から出奔することもなかった。

遠い歴史の話だと思っていた二・二六事件だが、私にとっては意外に近いところで起きていたんだなあ、という印象を受ける一連の記述である。

ちなみに祖父の記述が正しければ、この後昭和9年8月には歩兵大尉に進級。
昭和11年には歩兵学校甲種学生に選ばれているなど、特に事件に関連して人事上不利になるようなことはなかったようである。

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というわけで今回は以上です。
ドンパチな話でもないし、おもしろくなかったらごめんなさい…。


(参考)
紹介した同人誌→ COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 本土決戦準備in南九州 第40軍と終戦の教訓
※現在品切れ

※上記同人誌のリニューアル増補版『本土決戦準備 ~鹿児島1945~』は、現在各イベントで頒布中です。通販実施は未定です(下写真)。

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