臼井総理の「なんでもやってみよう」

ライター・編集者、臼井総理の日常を綴るブログです。同人サークル「版元ひとり」での活動についても語ります。

臼井総理、youtuberはじめました。

こんにちは。
久しぶりのブログ更新、しかも同人イベント関係の告知ではございません(笑)

実は私こと臼井総理、念願の?youtuberライフをスタートさせました!
…っていうほど大げさなこともないんですけれども。
ちょっとしたyoutube動画を投稿し始めました。


臼井総理の「ツナチューブ」第1回・由比缶詰所 まぐろフレーク油漬


臼井総理の「ツナチューブ」:第2回・伊藤食品「鮪」ライトツナフレークオイル無添加

まずはこちら2本。
「ツナチューブ」(TUNA tube)と題しまして、今年春から作り始めました「ツナ缶」の本にちなんで、ツナ缶のレビュー動画をやっています。というのも、買ったツナ缶がまだまだたくさんありましてね…(苦笑) せっかくなら、ただ食べるだけじゃなく、1缶ずつしっかり紹介できるコンテンツをやりたいなと思いまして。そんでもって、youtubeで動画をやってみようということに相成りました。

もちろん、ツナだけで終わるつもりはございません。


【超カンタン!】おいしい「肉吸い(にくすい)」のつくり方

こんなのもやってます。

いずれにしても、臼井総理youtuber計画はまだ始まったばかり!
ぜひ、チャンネル登録や、動画の「いいね」で応援してください!

どうぞよろしくお願いします。

8/21・東京&大阪同人イベント情報!

コミケの総括もしていないのに、今週末の告知です。すみません。
実は…いつも参加しているコミティア

申し込み忘れる

という大失態をカマしまして…。
言い訳をしますと、「おもしろ同人誌バザール」開催準備で精一杯になっちゃいまして、てっきり申し込んだつもりになってたんですよね…。ああ…すみません…。

というわけで、当日は私臼井総理、大阪に行きます!

8/21 インテックス大阪
SUPER COMIC CITY関西22
6号館Bゾーン え68a 版元ひとり

にて、お待ちしています!
コミケ新刊もお持ちしますが、残念ながら「麻婆豆腐」は売り切れです…。
関西の皆さん、ごめんなさい。
でも『ツナ缶本2』はバッチリお持ちしてますので、
皆さん買いに来てくださいね~。


また、コミティアでも、お友達のバーバラ・アスカ大先生にご協力賜りまして、
コミケ新刊のツナ本2を委託することになりました。

コミティア き19a 出版評論社

まで、お願いいたします!

では、日曜日に。
特に、関西の方はよろしくですー。
久々の関西遠征、楽しみだな~~~。

夏のコミケ、新刊情報です!(ギリギリ…)

こんばんにゃ!臼井総理だよーん(誰だよ)。
もう日付が変わって今日から!
いよいよ夏のコミケ、C90だね!

というわけで、ギリギリもいいところですが、新刊情報です。
なんと4冊も作りました。
このほか、弟子のサークルのために今コピー本作ってます。
明日の。

今…?

■人気シリーズ、合本です! 新規情報も!
『この麻婆豆腐がすごい! 完・全・版』

B5 フルカラー
総ページ数 208P(本文・204P)
コミケ頒布価格 2500円

※過去にリリースした5冊の総集編。
カラー版3冊完全再録(一部修正あり)、
モノクロ版2冊もほぼ収録。
さらに、新規レビュー12種、
コピー誌限定企画、別冊対談本内容も収録、
ほぼ「7冊分」をまとめた超お得な内容です!

■早くも第二弾登場!
『このツナ缶がすごい 2』

B5 フルカラー
総ページ数 76P(本文・72P)
コミケ頒布価格 1000円

※GWにリリースした「このツナ缶がすごい」の
第2弾。新規52種(過去最多!)のツナ缶レビュー、
ツナ缶メーカー2社直撃取材、
「ツナ缶教授」へのインタビューなど
もりだくさん。
これを読まずしてツナは語れない。


■こちらも企画だけはありましたが…やっと!
『遊べる!100均で買えるミリタリーおもちゃ』

B5・フルカラー
総ページ数 24P(本文・20P)
コミケ頒布価格 500円

※以前からサークルカットには載っていた、
謎の企画(笑)
100均ショップで買える
ミリタリー「っぽい」おもちゃを、
著者の息子と共同レビュー?
子持ちの貴方も、そうでない貴方も、
ぜったい読みたくなる一冊。


■艦これファン、飛行機ファン必見!
『「艦これ」に出てくる飛行機を観に行く!』
(「民間防衛研究協同組合」共同制作)

B5・フルカラー
総ページ数24P(本文・20P)
コミケ頒布価格 500円

※ゲーム「艦これ」に登場する航空機のうち、
国内で観られる実機&実物大レプリカを
集めた本です。
おまけ写真として、「戦艦大和」実物大
映画セットの写真もあります。
旅行ガイドにも、資料にも。

以上の新刊は、

3日目(日曜日・14日) 西ほ36b 版元ひとり

をはじめ、下記の協力サークルにて頒布いたします。

1日目 西i29a 連絡不行届
2日目 東J24a 民間防衛研究協同組合
3日目 東プ53ab 「評論貴族」&「昭和のひとびと」

 ※サークルによって委託する本が異なりますのでご了承ください。

北朝鮮の乱数放送(暗号放送)再開で一考。

突然思いついたので、はてブロのスマートフォントアプリを超ひさびさに起動。

北朝鮮が16年ぶりに乱数放送(暗号放送という表現が報道では一般的なようだが、個人的趣味で、以下「乱数放送」に統一する)が再開されたというニュースが、大きく報道された。

このインターネット時代にイマドキAM放送(中波、短波)で乱数放送なんて、ひどくアナクロな気もするが、「放送」を使うと、双方向性こそないものの、受信者の秘匿性ったら半端じゃない。なにせ、ラジオさえあれば誰にでも受信でき、なおかつ誰が通信の受け手なのかわからないからだ。

なお、実際どのように乱数放送が使われていたのかについては、昔NHKの「クローズアップ現代」で非常に詳しく紹介されており、本物の乱数表(暗号解読に必要なデータ)も映像に出てくるし、解読の解説もされている。
映像はないが、画像を交えた詳細なWebページがあるので、ぜひ見てほしい。
(あとでリンク付記する)

で、ひとつ疑問なのは「16年も間を空けて、いきなり再開してもちゃんと受け取られているのか?」ということ。

考えられるのは、乱数放送以外の手段、たとえば手紙やネット、電話で「いついつから再開するから」と伝える方法だが、これでは先に述べたような、せっかくの放送による「受信者の秘匿性」が台無しだ。

ほかにも、通常の放送でさりげなく知らせることもできよう。昔のスパイものではないが、いつも一定の時間に、特定の番組を聴取することを義務付けておき、その番組内でトリガーとなる内容(たとえば、特定の楽曲)を流すなどで、指令者からの意図を伝えるのもありえる話だ。


とはいうものの、16年という歳月は長い。スパイだって、ダレるだろう。
となると考えられるのは、今回再開された放送自体では、たいしたことは伝えていないのでは、ということだ。

2つ、可能性を考えてみた。

1、外交交渉のための「はったり」

報道にもあったが「俺ら、またやったるで?」という姿勢を示すための行動。

2、この先本格的に乱数放送を使うことを、受信者(スパイ)に知らせる目的

乱数放送を再開すれば、日韓のメディアは間違いなく大々的に報道する。普段テレビを見ない人も、逆にテレビはみるがネットを見ない人も、大勢この事実を知った。 
となれば、日韓国内に潜伏するスパイも、間違いなく「乱数放送再開」を知っただろう。
今後、乱数放送で指令が送られることを周知するための放送。どうだろう。


そんなわけで、慌てて短波ラジオを買いに行った人が身近にいたら…(笑)

私の祖父が遺した、牛島満・牧野四郎両将軍の貴重な書。

 もうかなり前の話で恐縮だが、今年4月、鹿児島県大隅半島「鹿屋」の地で行われた「艦これ」のオンリーイベントに参加したついでに、鹿児島県内の戦跡を訪問したり、親族の墓参に行ったりしてきた。

 その際、以前から解決しようと思っていた疑問があり、鹿児島市内にある「鹿児島縣護国神社」に立ち寄った。
 本ブログにも何度か書いたことがあるので、読者の皆さんには「くどい」と言われるかもしれないが、私の祖父は士官学校出の陸軍軍人。その祖父が生前、護国神社に寄贈した「書」があるというのである。

その「書」とは、旧陸軍の牛島満、牧野四郎両将軍のものだという。

 私の祖父、臼井一雄は、昭和16年8月、異動により陸軍士官学校の教官として赴任。陸士56期生徒隊の中隊長となった。このとき、沖縄戦の指揮を執り戦死する牛島満大将、後にフィリピンで戦死する牧野四郎中将と同じ職場になった。
 祖父の手記『わが八十年史』より引用する。

「当時における校長は鹿児島出身の牛島満中将で、出身地は鹿児島市加治屋町で、私が小さいときから長い間住んでいた上之園町と、甲突川を境界にした北隣である。かかる地縁によりしばしば演習の合間には、よく閣下の方から郷里鹿児島の思い出話をされて、二人でよく打ち興じたものである。ちょうどそのころ、当時の予科士官学校校長は同じ鹿児島出身の牧野四郎中将であって、鹿児島県出身の将軍が、本科と予科の校長をしておられた時期があったのである」

 祖父は、牧野、牛島両将軍ともに鹿児島出身だったという縁から、両将軍に書をいただいたというのである。そのくだりは以下の通り。

「(略)牧野中将が師団長としてフィリピンのレイテ島に赴任される送別会の折、戦況上、式はこれが最後になるやも計られずと判断したので、東京三省社における牧野中将送別会の席上、急ぎ紙を準備して、牛島、牧野両将軍に揮毫をお願いしたのである。この時牧野閣下は養正と書き、牛島閣下は至誠と書かれたのである。果たせるかな戦局は我に利あらず、両将軍共に戦没されたのである。私はこの貴重な絶筆を私するに忍びず、鹿児島縣護国神社に寄贈し、永く両将軍の形見として残さんとした次第である」

 この手記を元に、護国神社を訪問したところ、境内にある戦没者の遺品などを納めた「威徳顕彰館」(※社務所でお願いすると鍵を開けて見せてくれる)には展示されていなかった。「これはどこかにしまってあるのかな」と、同行者と話していたところ、たまたま同行者が別件で禰宜さんと話をしている際に「その書ならここにあります」と教えてくれたのである。

 なんと、参集殿(兼社務所)の待合室のような場所に、額装されて飾られていたのだ。その後、宮司さんともお話することができ、「これは展示物の中でも別格で貴重なのでここにあるのです。由緒がわかって良かった」とのお言葉もいただいた。私個人としても、祖父の良い供養になったかと思う。

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※撮影の許可はいただいております

 というわけで皆さん、鹿児島においでの際は、ぜひ護国神社にお立ち寄りを。

牛島満…陸士20期。昭和17年4月、陸軍士官学校校長。昭和19年8月、第32軍司令官として沖縄へ。ご存じの通り沖縄での激戦の末、昭和20年6月、自決。
○牧野四郎…陸士26期。昭和16年5月から陸軍予科士官学校教授部長、17年12月より予科士官学校長。昭和19年3月、第16師団長としてレイテへ。20年8月、自決。

3月上旬~中旬のミリタリーダジャレ。

Twitterで3月1日~3月19日までにつぶやいた、ミリタリーダジャレをまとめておきます。
面白いとか、面白くないとか、どうでもいいから。


「なにあんた!こんな汚いオートバイ…違う戦車…みたいな…変なの買ってきて!不便だし邪魔だし!」
「いいじゃないか不便とか邪魔とか、そんな欠点にくらっときちゃったんだよ」

「行こうとすると、相手に怒られる戦車ってなに?」
「…来るせいだー?」

「あれっ、海上自衛隊の船、公開してないよ」
「あすか」

「畜生、援軍はまだか!」
マスケット銃を持った人がこっち来ます!」
「まあ、助っ人!」

「戦車乗りとしての勉強のため、留学します。中国に」
「何しに行くの?」
気功師団ってくらいですからね」

「ちょっと船を修理するのに、どうしても必要な部品があるので絶対買ってください」
「なるほど、マストバイってわけですな」

「すみません、晴嵐の地上機型、開発が難航しています…」
「難産か…」

「あのう、灯火管制はいつまで続けるんでしょうか…」
「10日間せい!」

「この機関銃はよくおむずがりになるので、通称言うこと機関銃と呼びます」
「この護衛空母は航空攻撃を受けても沈まなかったので、通称攻撃がキッカンベイと呼びます」

10

「捷一号作戦の評価は何点くらいですか」
「零点ですね、レイテだけに」

11

「支隊長が失敗しました!」
「なるほど、失態長になったというわけだな」

12

「支隊長が戦死しました!」
「なるほど(以下略)」

13

「ゆきーの進軍氷をふんで」
「隊長!食い物が腐ってます!」
「馬鹿者、それははっこうだ」

14

陸自隊員で一番話しやすいのは、やっぱり戦車乗りだよね」
「そうなの?」
「『聞こうか』っていつも言ってくれるもん」


とりあえず。
以上です編集長。

二・二六事件から80年。臼井総理と二・二六事件

臼井総理です。
久々に告知以外のブログを書いてみましょうかね。

今日、2月26日は言わずと知れた「二・二六事件」の日。
しかも今年は、発生から80周年の日にあたります。
いろんなニュースメディアでも関連記事が出ていますね。

headlines.yahoo.co.jp
www.iza.ne.jp
www3.nhk.or.jp

最後に紹介したNHKの記事では志水さんという方にお話を伺っていますが、
この志水さん、実は私も昨年お目に掛かりまして取材させていただきました。
記憶もしっかりしておられ、とても驚いた覚えがあります。
99歳には思えないですね。
ちなみにこの本でも、二・二六事件のことについて載せています。

www.amazon.co.jp

昨年の本なのでもういいと思いますが、実は志水さんにお話を伺う前には、
二・二六の話は特に聞く予定ではなかったのです。
編集者が「ビルマの話を聞ける方」という条件で探していたのが志水さんだった、
というだけで、話を聞いているうちに「二・二六にも参加していた」ということが
わかってびっくり! だったんですね。
で、急遽ページを作って二・二六についてのお話も載せた、という次第でした。
(他の資料とかをチェックしていれば事前にわかったかもしれませんが)

NHKの動画を見ると、変わらずお元気なご様子で安心しました。
また何かお話を伺える機会があればいいなあ…。

さて。
二・二六事件といえば、一昨年に書いたこちらの記事もぜひお読みください。
私の祖父、臼井一雄が、決起将校たちと士官学校同期だった、というお話です。

souri.hatenablog.jp


今日もTwitterで少しお知らせしたところ、数件RTしていただきました。

直接参加したわけではないのですが、当時の青年将校の雰囲気が少し、わかるかもしれませんね。


教科書に載っている歴史では、二・二六事件の首謀者たちは「単なるお馬鹿さん」みたいな扱いになっていますが、
それは「結果論」。
当時の社会情勢なども踏まえて、すべて否定するのではなく、冷静に当時のことを思い返してみるには、
80年という歳月はちょうどよい緩衝材になるかもしれません。
慰霊碑にお参りはできませんでしたが、私も心の中で決起将校たちに手を合わせつつ、ついでに(失礼)祖父にも手を合わせておきます。

そんなこんなで、またね。